鉄道小バザールとは、サラリーマンによる海外乗り鉄っちゃんの記録集です。
ベトナムを縦断することは以前から考えていましたが、香港から線路で繋ぐという、くだらないことを思いつき、トライしました。2000年の乗車体験であることをあらかじめご了承ください。
16:45(香港・ホンハム) | 18:17(広州東) | 高速G4次(特等座) | 174km 230HKD |
広州東站 | 広州火車站 | 広州地鉄(地下鉄) | 3RMB |
16:30(広州) | 翌08:02(南寧) | 571/4次直快(軟臥) | 809km 309RMB |
20:23(南寧) | 翌4:30(同登:ドンダン) | K5次直快(軟臥) | 242km |
1HKD =14.93JPY 1RMB=13.83JPY(2000年8月当時の両替レート) |
そう、香港は中国内の異国
キャセイで香港に降り立ち、エアポートエクスプレス・アクセスバス経由で中国へのゲートウェイとなるホンハム駅へと向かう。幸いにも、すぐにチケットを入手できた。価格は230HKD。当時のレートで3430円と、そこそこいい値段だ。チケットには特等座位と表記されている。空港では香港ドルしか両替しなかったので1万円を中国元に両替し、残りの香港ドルで時間つぶしがてら小腹を満たしつつ構内を散策しました。
香港は外国扱いなので、専用入口に集合し、荷物検査・出国手続きを済ませ、待合所で待機させられた。しばらくしてプラットホームに誘導される。車両は噂のX2000(詳しくは「閑話休題」で)だ。
定刻の16:45出発。深センまではゆっくりとしたスピードで進んでいたが、郊外に出るとかなりのスピードが出てきた。レールの状態も良く、快適。
2000年当時はまだKTX(韓国の新幹線)・台湾高鉄も、ましてや中国の新幹線であるCRHも存在していなかったので、新時速は新幹線に次いでアジアで2番目に早い鉄道だったのだ。
ほぼ定刻に広州東駅に到着。ここで中国の入国手続きを済ませる。
地下鉄なので味気ないものの、楽で早いのに越したことはない。メンテナンスを考えてのことだろうが、座席がステンレス製で座り心地は悪い。
広州観光
珠江のほとりのホテルで1泊して、街を散策する。沙面というエリアにまずは向かい、粥と油条の典型的朝食を摂り、広州市民の胃袋と言われる清平市場へ。カメ・田ウナギはもとより、サソリ・ゲンゴロウのような虫・カメ・ヘビ・犬も売られている。トカゲは開きのようにして売っていた。猫は痩せている。うまくなさそう(当然、食べるつもりはないが…)。
注:2004年、SARS騒動でハクビシンをはじめとする動物の一斉撤去があり、この市場も閉鎖の憂き目にあい、現在は趣がかなり変わっているはずです。
越秀公園をぶらつき、歩き疲れて茶館で一服する。水仙観音、25元。女性が湯で急須や碗を温める本格的なお茶だ。席からは眼下に庭園を臨む。喧噪とは無縁の世界。カミさんが見たらうらやましがるだろうな。
喧噪の広州站へ
無意味に広い広場を通り抜け、また、役に立っているか相変わらず理解不能なX線検査を抜けて駅構内に入る。中も人・人・人・・・。カップラーメンとミネラルウォーターを買い込んで軟臥待合室で一休憩の後、改札を抜けて列車に乗り込む。機関車は当時典型的な東風4型だ。16時30分定刻に出発した。
まずい食堂車
軟臥の上段は、通路の上部分に荷物スペースがあり、比較的ゆったりしているものの、景色を見るにはあまりよくない。居候のごとく下段の席にちょこんとすわり、筆談をする。同席の人(つまり下段に寝る人)は出張で南寧に向かうとのこと。
三水という駅でSLとすれ違う。6時半を過ぎ、食堂車へ向かう。肉と野菜炒め18元。ニガウリとピーマンを足して2で割ったような野菜が、やはり苦くて、少し残した。湯(たん)は5元で、鶏の足がにょきり。飯(ふぁん)1元。まずい。いつも思うのだが、コメ国のくせして、どうしてこんなに米がまずいのか。同席のおっさん達は2杯平らげていた。信じられん。
疲れていたのか、午後9時30分にはうとうと・・・夜中に目が覚め、広州站で買っていたカップラーメンをすする。こういう時は必ず湯がある中国の列車、カップの中にプラスチックフォークが入っている中国のシステムがありがたい。
エアコンが利いていたからか、ぐっすり眠ることができた。これまた中国式か、車掌は到着2時間以上前にもかかわらず、通路のカーペットを丸め、到着後すぐに帰れるよう車両の身支度を始めた。乗客サービスといった思想はない。30分遅れの8時30分、南寧駅に到着した。
南寧観光
南寧は日中滞在のみなので、手配していたベトナム方面へのチケットの受け取りに難儀した(1泊していたら、ホテルに預けてもらえる)。建物のようになっている橋のたもとで一休みし、遠くで胡弓を弾く老人を見たことを今も鮮明に覚えています。あ、それと駅前の焼き餃子も忘れられない。タレが味噌風味でアツアツを頬張る。
南寧を歩き回って足が痛くなってきた。駅に早めに戻り、軟臥客用待合室で休憩して、列車を待つ。次に乗るK5次とは、北京発の河内行き。つまり、ハノイ行きの列車だ。出発してすぐ眠りにつく。真夜中に凭祥(ピンシャン)で起こされ、出国手続き。また、すぐに眠り込み、また、起こされる。ここは、同登(ドンダン)。ベトナムに入った。時計を見ると4時30分を回っていた。
広州⇒南寧⇒ハノイ⇒フエのチケットはピースインツアーという旅行会社で手配しました。
当時は中国・ベトナムいずれも入国にはビザが必要でした。しかも、サラリーマントラベラーの宿命で鉄道のチケットの入手を確実にしておきたい。ということで、インドシナ方面が得意な旅行会社に依頼したわけです。今なら、少なくとも中国の国内の列車はもう少し簡単に入手できたと思いますが、国際列車(南寧⇒ハノイ)は今でも旅行会社を経由しないと難しいと思います。
振り子式の高速列車で、スウェーデンから1998年に1編成だけ輸入し、広州東⇔深セン・香港(ホンハム)間で運行していました。
前述のように、当時はアジアで2番目に早い高速鉄道でした。後のCRH(中国の新幹線)と同様、技術を合法的に(?)パクり、似たような高速電車を製作・運行しようと中国が目論んでいたと言われています。
結局、あまりうまくいかず、2012年、スウェーデンに送り返されました。
K5次は国際列車で週2日運行されています。時刻表にはK5次ハノイ行と書いていますが、北京⇒南寧がK5次、南寧⇒同登(ドンダン:ベトナム)が215次となります。
そして線路の幅が異なるのでドンダンで列車を乗り換え、M2次となります。M2次については、ベトナム編にて。
ところで、この切符の外側は中国語とキリル文字(ロシア語)とドイツ語で書かれている。しかも切符自体は取られてなくなったが、金額がスイスフランで表記されていた。社会主義国間ではUSD表記はプライドが許さなかったのだろうか。
中国国境列車紀行(松本十徳著 近畿日本ツーリスト刊)
北京・ハノイ、ウルムチ・アルマトイ、北京・平壌など、中国発国際列車の旅行記。哈爾浜・ウラジオストク、ハノイ・昆明北といった、今はなき列車の乗車記も盛り込まれています。1998年刊行なので、図書館もしくはアマゾンの古本で探すのがベターかと思います。