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鉄道小バザール






鉄道小バザール

鉄道小バザールとは、サラリーマンによる海外乗り鉄っちゃんの記録集です。




 「インド洋と太平洋」が名前の由来という、オーストラリア大陸横断鉄道「インディアン・パシフィック」に乗車しました。当時、日記を書いていたので、再現できたものの、28年前なので、リアルタイムの記録ではないことをお許しください。

初掲載:2019年6月 Last Update2019年6月

 Sydney(10/14 13:30) Perth(10/17 07:10) 4351q   630AUD
1AUD=103.65JPY(当時のレート)





ゲップをしてもラム


 「インディアン・パシフィック」がシドニーを出発するのは午後1時30分。まだ少し時間があります。街中の店でラムサンドウィッチと、その場で絞ったパイナップルジュースを買い、テラスで遅めの朝食をとりました。シドニー市民のようだと、格好つけてみましたが、いかんせん、パイナップルジュースは氷なしで生ぬるく、サンドウィッチのラムはクセが強く、心の中で「失敗や」と愚痴ってしまう。そんな時ゲップをすると、口の周りにクセのあるラムのにおいが充満し、気が滅入ってしまう。「咳をしても独り」という尾崎放哉の自由律俳句があるが、「ゲップをするとラム」と独りごちてしまう始末。

列車に乗るため、シドニー・ターミナル駅に向かいます。鉄骨できたアーチ状のコンコースを抜け、プラットホームへ。編成全体を確かめるため、ホームを歩いてみました。コンコース側からコーチ(座席)車両2両、ラウンジカー、寝台車2両、食堂車、寝台車6両、貨物車両、自動車運搬車両、電気機関車2両の16両編成で、ホームからはみ出ています。車両はアルミボディーで頑丈そうですが、優雅さというものはあまり感じられません。カナダの大陸横断鉄道に似てはいるものの、ドームカーのような車両の変化はありません。

クネクネ通路の訳は…

編成を眺めた後は、自分の部屋のO<オー>号車に向かいます。車両に入ってみると、中央の通路が蛇行している。なんじゃと思いつつ、自分の寝台がある30番の部屋に入り、納得しました。洗面台のスペースを確保するため、反対側の寝台部屋と対になるようにクネクネと曲がっているのです。
 130分、発車ベルがなるわけでもなく、定刻に静かに列車が出発しました。

同席の住民はおじいちゃん

   

 コンパートメントは2人部屋。同室の人は70歳ぐらいの陽気なおじいちゃん。ポート・オーガスタまで行くとのこと。ただ、全くの他人となら、このスペースは、かなり狭い。後述しますが、3泊4日の全行程が座席車という最悪の事態が避けられたのだから、文句は言うまい。
 しばらくして車掌が食事の順序を尋ねてきたが、3rd-Sittingをオーダー。7時30分からの食事とのこと。一段落したので、ラウンジカーに向かい、手紙を書くことにしよう。
 

730分になり、食堂車で夕食を摂る。食事代も費用に含まれているので楽だ。例のおじいちゃんは、テーブルにお茶はこぼすは、パン屑は落とすは、のてんてこ舞い。@トマトスープとパン。Aシーフードパイ(結構いけた)BチキンCフルーツとアイスクリームDコーヒー、のフルコースになっていました。

ベッドはこういう風になっている

840分、自分のコンパートメントに戻ると、ベッドメイクがすでに終わっていました。風邪をひいていたので、ベッドに早めにもぐり込み、本を読みながら床につく。冷房が効いているので寒い。服を重ね着することにする。ウエストバッグを腹巻代わりにするとは思いもよらなかった。当然、靴下ははいたまま。体はもつだろうかと、少し弱気になった。

大陸横断、それは時計調整の旅

7時前に目を覚ます。早く床についたおかげで、疲れがかなりとれているようです。念のため、8時半の朝食時間近くまで横になる。
 朝食前にBroken Hillに到着。ここで州が変わるとのことで、30分時計を遅らせる。30分停車なので、到着と出発が同時刻になるというおかしな現象が起きます。駅はオーストラリアの田舎といった風情で、ホームで思いっきり煙草をふかしました。

           シャワー          備え付けの石鹸の袋

朝食を摂った後、シャワーを浴び、ラウンジカーで読書し、またコンパートメントに戻ってうたた寝していると、130分。昼食3rd-Sittingの放送が流れる。「待ってました」と起き上がる。完全に体調が戻ってきた。昼食のメニューは@トマトスープAハムと野菜の盛り合わせと初日夜のチキンの小さいバージョンBアイスクリームとフルーツC紅茶、でした。

窓に雨粒がつく。上空に雲が知らぬ間に立ち込めてきた。行く手に稲妻が走る。なんとなく心細くなってきた。Rocky Riverという駅から南下し、アデレードに立ち寄る形をとります。立ち寄ると言っても片道195q。長距離路線なので、大都会には立ち寄らざるをえません。4時25分、20分遅れでアデレード(Adelaide)に到着しました。

アデレード駅で小休止&部屋替え



 アデレード駅は約1時間の停車。アデレードは大都会だが、駅は中心部からかなり離れているので、街へ繰り出すことは避けました。写真を何枚か撮った後、当時は必要だった、帰りの飛行機のリコンファームのために、シドニーへ長距離電話を掛けました。そして、予約の都合でコンパートメント移動が必要なため、荷物を持って別のコンパートメント(O-7)へ。どんな人と一緒になるかと思ったら、髭面のベルギー人だった。自己紹介をしているうちに、アデレード駅を出発しました。

彼の名前はロジャーと言い、会社を辞めてオーストラリアを9か月旅行しているとのこと。このおっさんと、2時間以上話した。国際政治・経済・文化…よくも会話が続いたものだ。まぁ、私が暇つぶしの相手として都合よかったのかもしれない。しかし、この時間だけは日本語を完全に忘れていた。ええ勉強させてもらったと思うことにしよう。彼が3/4は喋ってはいたが…

夕食の時間(アデレード以降はセカンドシッティング)になったので話を切り上げ、ダイニングカーへ。@スープAハムのアスパラガス巻きBビーフステーキCアイスクリームとチーズケーキD茶のコース。100点満点!!
 食後ラウンジカーに移り、ロジャーと話す。ポートオーガスタに着いてホームで煙草を一服。夜ともなればオーストラリアと言えど、冷える。ベッドにもぐり込み、目を閉じると疲れが心地よい。何も考えず、揺れに身をゆだねよう。

未明に中間地点を超え、7時過ぎに車掌に起こされる。モーニングティーを持ってきたのだ。少し飲み、うとうとと、ベッドに横になっていると朝食のアナウンスが聞こえてきた。@オレンジジュースAシリアルBソーセージ・マッシュポテト・ベーコン・パンCクロワッサンD紅茶の、あっさりした朝食でした。

食後、車両端にあるシャワーを浴びたが、タオルをシャワールームに持ってくるのを忘れ、やむをえずシャツで体を拭き、コンパートメントに戻ってからタオルで体を拭き、髭をそり、洗面台で洗濯しました。  

Cook駅に到着



 午前1030分、Cookという駅に到着しました。ナラーバ平原の真ん中にあたります。時計を更に1時間戻す。辺りは何もない。ただ、478qという、世界で一番長い直線の途中にある駅で、そこそこ有名な駅でもあります。線路に降りて機関車の前で写真を撮る。ハエが多く、辟易してしまう。

 

ラウンジカーに移り、ロジャーに日本語を教える。「名前(漢字)にはすべて意味がある。たとえば三船=Three Ships、中島=Central Island」等など…。また、5円玉を取り出し、「Go Yen=ご縁=Good Marrige」と、5円玉の真ん中にリボンを通し、結び付け、女の子に渡し、プロポーズするのがある地方の儀式だと、嘘丸だしの説明をした。これぐらい美しい(?)嘘なら、ついてもいいか。ただ、これからの旅先で知り合った他の日本人に、このことを話さないでくれることを願うのみ。


                ずーっと続く直線                     トイレかなと思ったら、独房だったらしい


   
 Cook
を出発し、ラウンジカーで外をボーっと眺める。視界を遮るものは何もない。地球の丸さを実感できる景色だ。アナウンスで昼食の連絡が入る。
   線路脇の電柱にワシが巣を作っているのが見える。こんな荒野にも命があるんだなぁ、と唸ってしまう。直線はまだまだ続いています。
   コンパートメントに戻り、うたた寝。まだまだ直線が続く。最後の食事のアナウンスが入った。@パンプキンスープAシーフードの春巻BステーキCブルーベリーのパイとアイスクリームD紅茶。本格的なフレンチディナーでした。

カルグーリーで夜の街観光?


    

 1時間以上遅れでカルグーリーに夜940到着。フランス人が「このバスに乗ったらいいよ」と教えてくれたのがバスツアー。列車が1時間停車中に街をぐるりと一周する、というもの。6AUDとのことで参加することにしました。
    小さなバスに乗り込むとすぐに出発。カルグーリーは鉱山の街で、売春婦が多いことでも有名らしい。暗闇に鉱山のリフトの明かりが浮かび上がる。かつての栄光をしのばせる広い道、身分不相応なイルミネーション、カルグーリー版飾り窓の女。失礼だが落ちぶれた雰囲気が漂う。
     駅に戻り、煙草を一服。おもむろに列車に乗り込む。出発。ひと眠りするとパースです。



     

    目を覚ます。陸路移動で何度か時計調整しているからか、腕時計をしていても正確な時間がわからないというのも不思議なものです。車掌が紅茶を持ってきた。パースは近いらしい。ぼ〜としながら紅茶をすする。
   しばらくしてパース到着。駅の時計でようやく正確な時間がわかる。7時10分。時刻表と比べると、10分だけの遅れ。実に65時間乗車していたことになる。同じコンパートメントのロジャーとホームに降り立つ。彼が食堂車に立ち寄り、何をしているかと思うと、小さなパンフレットのようなものを持ってこちらに向かってきた。インディアンパシフィック号の食事のメニューブックを貰ってくれたのだ。感謝。

夕陽を見に、フリーマントルへ


                      スワン川対岸から見るパース市街                      かなり古い列車でフリーマントルへ

   インディアン・パイシフィック(インド洋・太平洋)号とはいうものの、終着のパース駅は厳密には海に面していません。そこで、夕方、外港のフリーマントルまで向かうことにしました。
 かなり年代物の気動車に乗り、フリーマントルへ進んでいると、隣の席のおじさんが話しかけてきた。聞くと、牧師で大阪の富田林に知人がいるとのこと。「うちの娘が日本語を勉強しているので教えてほしい、日曜日に教会に来なさい」と言ってきた。焦りながら丁寧にお断りした。しばらくしてフリーマントルに到着。


                   フリーマントル駅                       インド洋に沈む夕陽            狭軌と標準軌の併用

海岸に向かい、砂浜に腰を下ろします。4日前の朝、シドニーで太平洋に上る朝日を見て、今、インド洋に沈む夕陽を見てたたずむ。ちょっと格好良すぎるかな。

How To Get Tickets

現地で一発勝負の予約

かなり無謀なことをしていました。当時だと旅行代理店に予約発注して、テレックスという方法で現地に照会するという手間がかかりました。当然、その時間とお金がかかります。インターネットで自力で即時に照会でき、クレジットカード決済してチケットがPDFで送られてくる現代とはえらい違いです。
 この時の旅行では、現地の駅の窓口で買い求めました。これだと、売り切れの可能性があります。当時、週3便しかインディアン・パシフィック号は運行されていません。休暇日数が限定されるサラリーマントラベラーにとってはリスクがありましたが、お金がないから仕方がない。でも、窓口でのやりとりだと、「途中で部屋を変われば通しで乗られるよ」といったことを教えてもらえます。この時の旅行もそれで乗り切ることができました。

 現在のインディアン・パシフィック号は当時より豪華になり、高額になっています。当時乗車した2等寝台は630AUDでしたが、今では「ゴールドサービス」と呼ばれ、2019年シーズンでは2999AUDもかかり、およそ4.8倍になっています。ちなみに乗車した当時は座席車両もありました(現在はありません)。下記URLは、現在の予約サイトです。
<参考>当時の価格:
1等寝台:890AUD、2等寝台:630AUD、座席:220AUD
https://gsr-japan.com/booking/index.php

 大陸横断鉄道が走り出したのは1970年。それまでは州ごとに線路の幅が異なり、直通運転ができませんでした。飛行機で4時間半かかるところをおよそ65時間かけて横断します。

エアーズロック登頂

 オーストラリア旅行の最後にエアーズロックに登りました。当時はオーストラリアン航空と言われていたカンタスの国内線部門の路線でパースからシドニー・アリススプリングスを経由してユララ空港へ。ホテルの一部をドミトリーにしたところに1泊して早朝エアーズロックにチャレンジしました。
 午前4時に起床してバスに乗り込み、ふもとへ。前半は急坂で、地面に打ち付けられたチェーンを持ちながら登攀するところもあります。結構きつい。風も強く、転落死した人もいると聞きます。やっとの思いで高さ348mの頂上にたどりつくことができました。
 2019
10月には、アボリジニの主張により、登頂することができなくなるとのことですが、このHPを作るためにネットで調べると、エアーズロックは世界で一番大きな一枚岩ではなく、実は世界で2番目で、一番大きな一枚岩は同じオーストラリアにあるマウント・オーガスタスということを知ってビックリ。

 余談ですが、この時のオーストラリアへの行程は、当時勤務していた大阪からシドニー直行ではなく、名古屋(しかも今、県営空港と言っている小牧空港!)からコンチネンタル空港でグアムへ。2時間ほど無駄な時間を過ごし、乗り換えてシドニーというルートでした。安くするためのやむをえない選択でした。

「南蛮阿房列車」阿川弘之著(中公文庫)
「鉄道大バザール」の翻訳者でもある阿川弘之による海外乗り鉄体験記の著作集。中公文庫から上下巻で2018年に刊行され、入手しやすくなっています。インディアン・パシフィック号は「カンガルー阿房列車」として、下巻に収録されています。この列車のすごいところは、50年近く前の乗車体験記であるにもかかわらず、(現代の)豪華さを除けば、時間等も含め、ほとんど変わらないこと!

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