鉄道小バザールとは、サラリーマンによる海外乗り鉄っちゃんの記録集です。
大学卒業前にシベリア横断鉄道に乗ったことがあるので、別ルートとして「ロシアを経由せずにヨーロッパに抜けてみたい」という思いを以前から持っていました。20年前に中国・ウルムチまでは到達していたので、2週間の長期休暇を利用して、続きを久々にチャレンジしました。
今回の旅行エリアは中国も含め、私たちが日ごろ愛用しているグーグルマップが「使えない」「便利ではない」ところです。中国の百度地図とロシアのYandex Mapsを活用して旅しました。(大阪⇒北京のPart1と北京⇒ウルムチのPart2は、余裕ができたらアップロードしていきます)
初掲載:2020年3月 Last Update:2020年3月
ウルムチ(中国) |
アルマトイU(カザフスタン) 8/11 23:00 |
K9795次 1,048q |
軟臥 |
アルマトイU(カザフスタン) |
タシケント(ウズベキスタン) 8/13 11:54 |
001X 1,003q |
1等寝台 21,238テンゲ |
タシケント 8/14 07:28 |
サマルカンド 09:42 |
762Φ 343q |
VIP席 204,000スム |
サマルカンド 8/15 12:44 |
ブハラT 15:09 |
010Φ 249q |
1等 85,440スム |
ブハラT 8/17 01:31 |
ヌクス 10:38 |
054Φ 551q |
1等寝台 261,549スム |
ヌクス(ウズベキスタン) 8/19 04:12 |
ベイナウ(カザフスタン) 19:23 |
647Φ |
3等寝台 177,629スム |
ベイナウ |
アクタウ 8/20 06:48 |
658X |
2等寝台 2,951テンゲ |
1元=15.6JPY 1テンゲ=0.28JPY 1スム=0.0123JPY(2019年8月時点のレート) |
20年ぶりのウルムチ 当時の面影はもうない
UFOのお化けのような駅舎 エスカレーターで巨大なコンコースへ アルマトイ行きの表示が
ウルムチは2000年に訪れていますが、国際大バザール付近を除くと、単なる中国の大都会となっていました。ただ、その国際大バザールも、買い物はアリペイやWeChat
Payといったスマホ決済以外は品物を売ってくれないという始末。20年前とは場所も異なるウルムチ駅舎はUFOの化け物のような馬鹿でかいフォルム。入るにもID提示・スキャンが必要です。日本人はパスポートなので有人の窓口を探さなくてはなりません。入ったら入ったで、数本、横に連なるエスカレーターの波に流され、コンコースに「突入」します。
午後11時15分、プラットホームに降りろとの指示。中国はいつも列車に乗るときはあわただしい。ぞろぞろと階段を降りると列車が待機していました。
中国サイドの車両で、2段ベッド×2で構成されるコンパートメントは、中国の「軟臥(1等寝台)」に相当するものです。そこに私(54歳のおっさん)と30歳前後の日本人カップルの計3人が陣取りました。実はもう一人50歳過ぎの日本人のおっさんがこの車両にいるので、日本人は計4人いることになります。おそらく下段を3人が指定しており、このような形になったと思われますが、日本人カップルにしたら、私は邪魔な存在だったことでしょう。
話を聞くと、沖縄に住んでいて、新婚旅行でアジアを周遊しているとのこと。「新婚旅行で利用するルートと違うがな」と思うのですが、どこを通るかは彼らの自由。1時間ほど雑談して疲れていたこともあり、眠ることにしました。
湿ったシーツを使う気になれず…
朝7時40分に目が覚めました。前夜配られたシーツが湿っていて、使う気になれず、「寒くて目が覚めた」というのが正直なところです。小さな駅で停車中、ちょうど日の出だったのでカメラに収めました。コーヒー・ヒゲソリ・歯磨きの朝のルーティンを済ませた後もまだ停車中。しばらくして少し動き、イーニン(伊寧)に到着しました(9:55〜10:15)。
イーニン(伊寧)に到着 掛けシーツは湿っていて使う気になれず
ホルゴスに到着。何もすることなく…
牽引は和諧号
イーニンを出発後、しばらく進み、ホルゴスに11時22分に到着しました。荷物をまとめ、ホームに降りるよう指示される。ほとんどの人が駅から出ていくが、日本人4人と外国人のおばさんの計5人がひとまとめにされる。国境越えをするために列車に乗っていた外国人は、この5人だけだったようです。外国人のおばさんはスイスからの旅行者で、帰路にこのルートを利用したいと思ったとのこと。
係員にパスポートを提示し、コンコースに入れられました。係員のスマホの翻訳ソフトを使い、中国語と英語でやり取りすると、5時に出発するので、ここで待っていろとのこと。置いてけぼりされるようです。つまり、5時間、何もすることがない。
私が音頭を取り、1時間ほどのんびりして、街に繰り出そうと他の日本人3人に声を掛けました。午後1時過ぎにおもむろに動き出し、スイス人のおばさんに荷物を見てもらうことにして、駅を離れることにしました。それにしても、中国はオーバースペックな建物を作る人たちということを痛感します。1日3・4往復ほどしか鉄道が通らないのに、どう考えてもこの駅舎は無駄じゃん、と思わざるをえません。
それにしても何もない…
鬼城(ゴーストタウン)のような静けさ 痩せたエビチリ飯 唯一(?)の飲食店
関所(駅舎への出入りを管理するところ)を出たところには、かなりの数の建物があるので、食堂ぐらいはあるだろうと思っていました。15分ほど歩くと、メインストリートを挟んで商店が並んでいました。ところが、スーパーはあるものの、レストランというか食堂らしきものが見当たりません。筆談と身振りで街の人に聞きとりしたところ、別の通りになんとか食堂を見つけることができました。なぜかエビチリ飯とコーラを注文。エビはかなり痩せていたものの、どうせ冷凍モノだろうからと苦にもせず、平らげました。2時40分過ぎに駅に戻りましたが、いい暇つぶしになりました。それにしても建物の大きさ・数と、見かける人の数のアンバランスさが気になります。国境貿易の思惑を見越した先行投資なのか、それとも、思惑が外れ、「鬼城(ゴーストタウン)」と化したのか、真相はわかりません。
駅舎のコンコースは蒸し暑く、外に出たところの日陰のほうが風もあり、気持ちいい。タバコを吸って気を紛らせます。
出国審査、しょっ引かれないように…
3輪バイクの荷台にスイカがどっさり コンコースで時間つぶし
4時過ぎから係員が入れ替わり立ち替わり我々のところにやってきては、パスポートを提示させる。その都度、軽い緊張が走ります。午前のケースと同様、スマホでの中国語と英語翻訳のやり取りがあり、何かの資料と見比べ、パスポートを返却されて、おしまい。これが2度・3度と繰り返されるが、一体彼らは何をしたかったのか?今でも不思議でなりません。
4時30分過ぎに出国審査が始まる。これが最大のヤマ場。「別室に連れていかれ、カメラのデータを全チェックされる」という話もネットで見かけます。最初に、もう一人の50過ぎのオッサンの審査が始まる。香港というフレーズが聞こえる。彼は香港経由でウルムチに入っている。2019年春以降、香港でデモが活発に行われており、国境警備も神経質になっているようです。彼は結局、別室に連れていかれました。
次は私。瞳の左端に彼の動きを追いつつ、にこにこしてニイハオ。”Your friend?”と聞かれると、”No”と明快に答える。こっちは2・3分のやり取りで、出国スタンプを押され、放免。改札の前のスペースに連れていかれました。しばらくして彼も別室から戻ってきました。後で聞くと、荷物を全部チェックされたほか、カメラのデータを全部見られたらしい。でも、削除命令は受けなかったとのこと。彼には申し訳ないが、中国の役人のスケープゴートになってもらったことになる。彼らも、大きな問題にすると面倒だが、仕事をしているとパフォーマンスを示さないといけない。わが身にそれが降りかからなかったことに本音ではほっとしました。
日本人4人、スイス人のおばさん、そしてカザフスタン人数人が改札を通り、地下を経由してプラットホームへ。到着した時とホームが異なるのは、ゲージ(軌間)幅が異なることが理由と思います。中国は標準軌(新幹線と同じ線路幅)、カザフスタンは旧ソ連の線路幅(1,520o)で、ホルゴスで台車を交換しています。5時間以上駅で待たされていたのは、この台車交換に要する時間なのです。
次の関門はカザフ入国
河原の国境を越えてカザフ側へ。有刺鉄線がチト怖い
午後5時15分、静かにホルゴス駅を出発しました。大きな河原の国境を越え、カザフスタン側の国境駅に到着。時計の針を2時間戻します(午後3時30分)。車両編成の最後部だったので、扉の窓越しに中国のホルゴスの街並みをカメラに収める。
カザフ側国境駅から車両最後部の窓越しに、中国の国境事務所を臨む(でかっ) 出入国カードに四角のハンコが2つ押されている
しばらくして迷彩服のカザフ役人が車両に乗り込み、荷物検査が始まりました。役人はそれほど熱心ではないものの、シートを持ち上げるよう指示される。違法なものを持ち込んでいないかのチェックです。続いて、車両の端のコンパートメントで一人一人に入国審査が行われます。小さなプリンター複合機のようなものとパソコンを接続し、2・3質問のやり取りをして、パスポートをスキャンして入国スタンプをポン。そして出入国カードに2つ押印を受け、Have a good trip!と言われる。何とかクリアしたようです。
出入国カードに2か所ハンコを押されるというのがミソで、1か所だけだと、アルマトイで滞在局(通称オビール)に赴き、改めて手続きが必要とされています。余計な時間とストレスがかかるオビール行きが免除されたのはとても大きい。心の中でガッツポーズをとりました。今のところ、写真もあまり自主規制もせずに撮れています。この国境越えの鉄道の写真は、ネット上でもあまり紹介されていないだけに、出来すぎとさえ言えます。4時55分、出発。
ほどなく、Altynkolという駅に到着。カザフ側の実質のスタート駅です。ただ、何をするのでもなく、1時間近く停車し、午後5時55分出発。ステップ地帯を快走します。Yandexのオフラインマップを見ると、時速100qを超えている。カザフスタンに入ってから保線のクオリティーが落ちたのか、揺れが感じられるようになってきました。
1時間ほどうたた寝して、目が覚めると、これまた丁度日が沈むところだった。沖縄の新婚カップルと雑談し、3人とも中国サイドで買っていたカップラーメンをすする。中国・旧ソ連の車両にはサモワール(湯沸し器)は必ずついているのと、中国のカップラーメンには必ず折り畳みフォークが入っているので、こういう時は鉄板です。
午後10時過ぎ、大きな駅に着いたようなのでホームに降りて軽く体操とタバコを一服。あ、そうだ、ここはアルマトイT駅なんだと気づく。最終目的地まではすぐだ。40分ほど停車し、機関車を付け替えて進行方向を変え、午後11時、定刻にアルマトイU駅に到着しました。
K9795次情報
この列車は過去のネット情報でも、中身が年とともに変わり、なかなか正確・新鮮な情報が入手しづらいです。しかも、2017年からは阿拉山口経由からホルゴス経由となり、時刻等の情報も不透明でした。時系列の動きは本文に記したので、それ以外の、役に立ちそうな情報を以下にメモします。
・チケットはChina highlights https://www.chinahighlights.com/ で日本語でやり取りをして入手しました。入金はクレジットカードを利用したペイパル払いでした。
・食堂車は連結していませんが、中国車両なのでサモワール(湯沸し器)がついています。車内販売はないので、事前の食糧確保が必要です。ウルムチ駅の売店で、カップラーメンやパンを入手するといい。
・ホルゴスでの昼食は、スーパーで食料を確保する以外では、徒歩で行けるのは、今回食事した食堂(と、その隣の食堂)だけ。
・アルマトイU到着が午後11時なので、宿泊先は駅から徒歩2・3分のホテルアストラが便利です。途中にクレジットカードでキャッシングできるATMがありました(ここで初めてテンゲを入手)。
・ホテルから徒歩3分(駅からも徒歩3分)のところに24時間営業のコンビニもどきがありました。カップラーメン・水・お菓子が入手できます。中国で入手した100円ライターが壊れたので、この店で改めて買い、私自身、本当に助かりました
アルマトイU駅に食堂を見つける
ちっちゃな食堂だけど助かった カザフ版回鍋肉飯
ホテルに預けていたリュックをピックアップし、駅前のコンビニもどきで、ペットボトル水を購入し、駅へと向かいます。適当な夕食を摂ることができなかったので、食堂車での夕食を検討していたところ、駅に食堂を見つけました。肉と野菜炒めのぶっかけ飯(1000テンゲ)とアイスティー(350テンゲ)をお腹に入れ、満足してプラットホームに歩を進めると、既に列車が入線していました。
役人に呼び止められる。ヤ、ヤバイ
一軸台車連接型客車
スペインのタルゴ車両とは知っていたが、連接・短軸車軸、つまり車両と車両の間に台車があり、しかも1つの軸しか台車がないという構造に、テンションが上がり、思わず写真を撮ります。実は、カザフスタンは地球の歩き方に書いてありますが、列車の撮影は禁じられています。出来るだけ目立たないように、ポケットにカメラを隠して、撮るときだけササっとということを繰り返していた。
ひと段落してタバコを吸っていると、制服を来た役人がちょっと来い、という仕草。タバコをホームで吸っていることを咎めているのか、写真を撮っていたことを咎めているのか、不明ですが、ヤバいことに変わりはありません。コンコースに連れていこうとする。
出発まであと10分ほど。Sorry,Sorry.I'm going to Tashkent by this train.
個室を独占
目が覚めると午前3時5分。世界史で出てきた「タラズ」の駅を出発したところでした。出発時の小さな揺れで目が覚めたのかもしれません。途中になっていたガイドブックを見ようとしたらまた眠くて…。シムケントに6時38分到着。タバコを吸いにプラットホームに降りましたが、出発時刻よりかなり早めにドアを閉めるので、少々戸惑う。お国柄か。
食堂車で朝食を
7時58分、Alliyという駅に到着。ここはカザフスタン北部への路線との分岐点になる駅です。8時15分に駅を出発し、食堂車に向かうことにしました。シンプルな朝食で、既にこの旅で何度か食べたバターを落としたオートミール粥をかきこむ。バターのコクがなかなかクセになる。ただ、コーヒーではなく、緑茶のティーバッグなのが玉にキズか。
10時10分、国境沿いの駅に到着。タバコを吸いにプラットホームに降りたいところですが、車両にとどまるよう指示される。しばらくして車両端のコンパートメントに呼ばれ、出国審査を受ける。明るい雰囲気で対応が進む。別の係官がジャポン?サムライ!とステレオタイプのご発言。愛想よく笑って握手。この後の旅程を告げ、日本の観光客はビザ不要であることの確認を無線でどこかとやりとり。ハンコを押され、10時30分、無事終了。でも、出入国のスタンプをパスポートの最終ページに押されることに、日本人としては少し戸惑いを感じる。通常は最初のほうから詰めて押すものだが…。10時58分、静かに国境駅を出発しました。
奥に国境のフェンスが見える 使えなくなって初めて気づいたテーブル下の洗面台 ウズベキスタン側の国境駅ケレズ
小川が国境のようで見落とすところだったが確認し、1時間時計を戻し、10時15分、ウズベキスタン側国境駅のケレズ駅に到着しました。
車掌がシーツの回収にやってきました。その後、車掌が迷彩服の男とコンパートメントに入ってきて、テーブルの下部のパネルを開閉する。一体何?と覗いたところ、テーブルが上がり、なんとテーブルの下には洗面台があり、水道がついていたのです。もう、バルブを閉めたので使えない…。洗顔も歯磨きも、そして行水も、ここでできたのだ…、ショック。その後預けていたパスポートが戻ってくる。つまり入国審査は面接がなかったことになる。そして、10時55分、ビーグル犬を連れて国境警備員がコンパートメントに入ってきた。麻薬感知犬だろう。たわいない会話をしつつ、犬はコンパートメントをうろうろ。良い旅を!といって彼らは去っていった。
11時50分、タシケント駅着。駅横をする抜けると、タクシーの客引きや待ち合わせの人々の渦の中に突入する。まずはウズベキスタンのお金を入手しなくては。このままでは地下鉄に乗ることも、何もできない。
ウズベキスタンの新幹線・アフラシャブ(Afrosiyob)号に乗車
列車三昧の旅には変化が欲しいもの。ウズベキスタンの新幹線といわれるアフラシャブ(Afrosiyob)号に乗車することにしました。朝6時過ぎにホテルをチェックアウトして地下鉄でタシケント駅に到着。待合室で少しゆっくりして、いざ、プラットホームへ。予約したのは10号車のVIP席。10両編成の一番後ろになる一番豪華な席です。7時27分、定刻より
1分早く出発しました。
これがVIP席 皿の上部にあるスプーン型ペロペロはちみつがgood
出発して間もなく時速100qを突破している。ただ、そこそこ揺れる。あれよ、あれよ、という間に時速160q。Yandex.Mapsに搭載されている速度計で計測できるのは面白い。
朝食がサーブされたので、いただくことにする。オートミール粥と小パン(サモサもある)を中心としたもので、干しブドウやクルミもあるのはウズベキスタンらしいといえるかもしれません。ハチミツをプラスチックスプーンのくぼみに固めたデザートもある。大人もぺろぺろしていて、ほっこりします。コーヒーをオーダーすると、3000スム払わされたのは愛嬌か?
それにしてもエアコンが効きすぎだ。カバンから薄手のカーディガンを取り出し、羽織る。あっという間に2時間が経過し、サマルカンドに定刻の9時42分、到着しました。
サメという名の特急に乗車?
ウズベクのワンパターンフォルムとは異なるサマルカンド駅 コンコースにあるステンドグラス ごっつい機関車と貨車
サマルカンドからブハラへは、シャルケ号という特急列車を利用しました。シャルケ⇒シャーク、つまり「サメ」。二重内陸国でなぜサメ?なのか不明でしたが、真相はサメではなく、アラビア語で「東方」という意味だそうです。つまり、「オリエント号」という意味。関所でチケットのチェックを受け、駅に入ります。地下通路を抜けてプラットホームへ。売店ではサマルカンドナンも売られていました。
しばらくして無骨な青と白の電気機関車が客車をけん引してタでシケントからやってきました。乗り込んだ車両は一番いいクラスではあるものの、2+1でコンパートメント形式になっている不思議な車両でした。定刻の12時44分、出発。
暑く、そして眠く
コンパートメント形式
日差しがきつく、冷房が全く効かないので暑い。そして乾燥地帯を走っていることもあり、窓が汚れていて、あまりいい写真が撮れない。観光の疲れでうとうと・・・を繰り返す。車両の探検をしたところ、寄せ集めなのか、バリエーションが豊富なのか、席の配列に5種類ほどのパターンがあったのには驚いた。
ジャンクションのナボイ駅を14時16分に出発すると乗客が減り、隣の、横2席のコンパートメントに移り、住環境(?)がかなり改善されました。
左にアフラシャブ号が見える
15時9分、定刻通りブハラT駅に到着。プラットホームにはタシケント行きのアフラシャブ号が停車しており、その前を我がもの顔で線路を横切って駅外へと向かいました。
駅員おばさんの小遣い稼ぎに協力?
ブハラ観光後、チェックアウトした宿のチャイハネテーブルで仮眠をとらせてもらい、近所のレストランで夕食を摂った後、白タクで22時15分、ブハラT駅に到着。カッサ(チケット売り場)でEチケットを紙チケットに交換してもらい、関所を通ってコンコースへに入りました。
出発までは2時間以上間がある。待合スペースで本を読んでしばらくしていると、近くの部屋からおばさんがやってきて、チケットを見せてほしいと言う。制服なので駅員に間違いないので見せた。すると、部屋で仮眠ができるというではありませんか。
VIP応接室?で仮眠 列車に乗り込む。右は朝4時発のアフラシャブ号
料金は1万スムとのこと。130円ほどで2時間仮眠ができるなら安い。おばさんに言われるまま、荷物を持って駅の2階へと向かう。最初は、インドで経験した「リタイアリングルーム」のウズベキスタン版かと思いました。これは駅上階で仮眠できるベッド貸のシステムで、インド・アグラで利用したことがあります。
すると、大きな部屋に通される。応接セットがいくつかあり、???。貴賓室のようなものか。1万スムといわれていたが、5万スム札しかない。お釣りは期待できないかも…。どこを使って寝てもいいと言われても…。
おばさんが出ていって、ふと壁際を見ると、充電器の親玉のような棚が見えた。ここは貴賓室兼団体客の控え室のようなものなのだろう。スマホとデジカメとバッテリーパックをここぞとばかりにくっつけ、目覚ましをセットしてソファに身をゆだねる。しばらくしておばさんがお釣り4万スムを持ってきてくれた。おばさん、疑ってごめん。ぐっすり眠り、午前1時、タイマーで目覚める。おばさんもやってきた。Have a good trip!といってくれたが、おそらく、1万スムはおばさんの懐に入ったのだろう。こっちとしては、2時間近く眠ることができてラッキーでした。
ほどなく、クングラート行きの054Φ列車がやってきた。7号車の8番。2人用個室の1等寝台だ。コンパートメントに向かうと爺さんが眠っている。1時31分、定刻通りに出発。行きそびれていたのでトイレに向かう。いわゆるぼっとん便所だったが、古いものの汚くはなかったのでひと安心。自分のコンパートメントに戻り、ひと眠りする。
ミスキン駅で一服 一夜を明かした寝台 下に線路が見えるボットン便所
ブハラから一度も目が覚めず、6時40分、ミスキン駅停車の時に起床してしまった。残念。疲れがたまっていたのだろう。なぜ残念かというと、半鎖国状態のトルクメニスタン領土内をパスポートチェックを受けずに通っていることをYandex.Maps上で確認しそこなったからです。元々は同じソ連内なので、国境がありませんでした。その後、国境が設けられたものの、この列車はトルクメニスタン内では乗降扱いがないため、いわば航空路のような扱いを受けている貴重なエリアだからです。「トルクメニスタンを経由せずに済むルート」を現在建設中で、いずれこのルートは利用されなくなるはずです。
サモワールでコーヒーを
サモワールで日本から持参のマグカップに湯を入れてインスタントコーヒーを一杯。緑がなくなり、砂漠地帯を列車は進みます。
予定より2分早い10時36分にヌクス(NUKUS)に到着。かなりの人が列車から降りた。しつこい客引きを適当にあしらい、マルシュルートカ(ミニバス)を探す。体のがっしりした兄ちゃんに連れていってもらい、無事、乗り込む。ヌクスはカラカルパクスタンという自治共和国の首都かつ最大の都市で、ウズベキスタンでも5番目に人口を抱えているところらしい。また、温暖化で干上がったアラル海の近くの町であることでも有名です。
ヌクス=ヒヴァ移動
観光地のヒヴァ(ウルゲンチ)へは、シェアタクシー以外の方法がないので、今度はヌクスのシェアタクシー乗り場に向かわねばなりません。この時もYandex.Mapsが大活躍しました。バザールでマルシュルートカを降りて東に歩き、ネットに載っていたシェアタクシー乗り場と思しき所に向かうと、おっさんがたむろしている。ここだ。
ヌクス駅 バスターミナル前のバザール シェアタクシー乗り場
ただ、よく見ると、一人若い兄ちゃんが助手席にいる。彼の分が運転手のオッサンのプラスの利益になるわけだが、1対1で2時間乗るよりも緊張が少なくて済む、といいように解釈しよう。この兄ちゃんにとっては、私は早く出発してくれたカモと思ったことでしょう…(地元の人たちなら客が4人集まらないと出発しないだろうから)。
きれいに舗装されてる道路と、舗装はされているものの凸凹の道路とが何度か繰り返されるものの、平均時速100q超えで進む。途中、アム・ダリヤ川を越え、ウルゲンチへ。さぁ、もうすぐヒヴァだ。
アム・ダリヤ川を越えるとウルゲンチ
翌日、ヒヴァ観光を終え、前日とは逆ルートでウルゲンチ経由でヌクスへと向かいます。戻りは乗客4人満員で、その分安く、4万スム(500円ほど)でクリアしました。
「チンゲ・チンゲ」って…
結構涼しい マンギシュラク(アクタウ)まで直通できる? シーツが配られる
宿の支払いは前日夜に済ませ、3時に宿をチェックアウトして予約していたタクシーに乗り込みました。およそ10分で駅に到着。ベイナウ行きの列車はすでにホームに入っていました。予約している車両のサボ(行先標 サインボードの略)を見ると、なぜかマンギシュラクとなっている。マンギシュラク(アクタウ)は、列車を乗り継いで向かう先で、運転される日とない日があると聞いていたので、この時は、「サボの変更がされていないのだな」と、軽く思っていました。
車両に乗り込むと、3段寝台プラス(線路幅が広いので)向かい側3段の計9人1区画の、上段を使わない、6人仕様の「3等の松」スタイルでした。今回の旅行では一番下のクラスだが、この列車の編成では上位ランクに該当します。隣のベッドではおばさんがすでにシーツを広げ眠っている。そりゃそうだ。朝、4時前だもの。車掌がすぐにシーツを持ってくる。少し寒いので、シーツにすぐにくるまり、眠ることにしよう。4時12分、定刻通り出発。
途中、クングラート(Kungrad)を通ったがそのまま眠っていました。7時過ぎに目が覚め、前日に買っていたナン半分とサモワールで入れたインスタントコーヒーで朝食にする。
物売りがひっきりなしに往来する。魚の燻製まで売っている。隣のおばさんが茶色の瓶を買って飲んでいる。謎の健康飲料か?中には、「チンゲ・チンゲ」と、連呼する人が往来する。小学生のガキか!と突っ込みたくなるが、よく考えると、闇両替で「テンゲ・テンゲ」とカザフスタンの通貨を連呼しているのでした。俺が一番必要な存在じゃないか…。呼び止め、ウズベキスタンスムをカザフスタンテンゲに両替してもらいました。どうせ、レートはいいはずないので、言い値で手を打った。45万スムが18000テンゲに。日本に帰ってネットで調べたら、悪くないレートだった。おじさん、さげすんだ目で見てごめんなさい。良心的だったんだね。
Jasliq駅 マントウ売りのおばさん
9時58分、ジャスリク(Jasliq)という駅に到着。ホームに降りて、ここぞとばかりタバコを吸う。皆、思いは同じのようです。ついでにウエットティッシュで外から窓拭きも行う。写真が少しでもましなものが撮れますように。10時18分出発。
マンティーと呼ぶ声が聞こえる。マントウ、饅頭のことと、ピンときて、おばさんを呼びとめる。1個1000スム=13円と、ちと高いが、温かくてうまい。私のいる寝台は窓が開かないので、少し暑い。だらだらして過ごす。
13時、ウズベキスタン側の国境駅であるQoraqalpogi’ston駅に到着。他の窓からの風も入らなくなるので、蒸し暑さが倍増する。13時40分にパスポートを回収されるが、レジストレーションカード(宿の宿泊証明)は一瞥すらしない。14時10分に荷物チェックに訪れるが、リュックの中身を見ようともしない。14時20分、麻薬感知犬が登場し、真ん中の通路をウロウロ。14時35分パスポート返却と、時間はかかるものの、神経戦をするようなシーンは全くなかった。15時04分出発。国境を越え、15時24分、カザフスタン側の最初の国境駅Oazis駅に到着。何も検査はなく出発した。入国審査は?と思ったら、迷彩服を着た国境管理官がやってきて、個別審査を「列車を走らせながら」行った。ごくごく簡単なやりとりと、小さな複合機のようなものでスキャンして終了。あとはベイナウに向かって突き進むだけだ。
ベイナウにもうすぐ到着のようだが、全員が降りるわけではないようだ。隣のおばさんに聞くと、この列車でマンギシュラクまで行くらしい。
乗り換えなしに行けるようだが、私は3時間後に出発する列車を予約している。終点のアクタウ(マンギシュラク)でシャカリキに観光するつもりもないので、ベイナウで予定通り降りることにしました。
カザフスタン中央時間の19時32分にベイナウ着。直接、線路上に降りる。ホームは1つあるが、別の列車が止まっている。ここは東西南北の列車のジャンクション駅で、それぞれの列車をここで乗り換えるようになっているようです。物売りと、荷物の上げ下ろしと、人の出入りでごった返している。しかも、ぼっとん便所の関係か、トイレの匂いがそこはかとなく漂う、一種異様な雰囲気でした。
ベイナウ駅周辺探訪(HP紹介は、日本初?)
駅前の広場?道路? 駅前の商店街。とっても活気がない!? 瓜をトラックから降ろして販売
ホームに上がり、白タクの客引きから逃れ、タバコを一服。まだ、結構明るい。そりゃそうだ。カザフスタンは世界第9位の面積を持つ国で、アルマトイから真西に1700キロも移動したところで時差が発生する国なのですから。それにしても、駅の周りを散策するが、何もない。
駅から少し離れたところに小さな市が 駅前に唯一のカフェ(ここで食事) 羊肉と玉ねぎスライスとパンとコーラ。以上。
駅前にカフェと書いている店が1軒だけあり、中に入る。羊肉のケバブとコーラ合計1500テンゲ(420円)を胃の中に、文字通り「流し込む」。レンジでチンしただけだろうが、温かい食べ物を食べることができたのは助かった。それにしても、ベイナウ駅はちと汚いが「小便臭い」駅でした。
ぶらぶらしているうちに出発1時間前になり、知らぬ間に列車がホームに入っていました。ベイナウ=アクタウ(マンギシュラク)間の列車は、過去のネット情報だと「阿鼻叫喚地獄の夜行列車」「タイヘンな夜行」「席の争奪戦」「わいろで乗車」などと記載されており、すこぶる評判が悪い。ただでさえ、情報が少ないところに、ネットでの記載内容がこんな様子だから、少々、ナーバスになっていたが、知恵を働かせ、クリアを目指しました。
トイレが見当たらず、駅外れで立小便して(失礼)、ホームに数多くある小さな売店を覗いて時間つぶしをしてペットボトル水を買い、予約している寝台に向かいます。普通の2段ベッド・定員4人のコンパートメントのようです。窓は開きそうにありません。結局、すべてのベッドは埋まったものの、他に乗り込む人がいるわけでもなく、まずはすし詰めは回避できそうです。22時15分、定刻どおり出発。
闇夜を快走、そしてカスピ海の懐へ
走り出すと、なんと、エアコンが効いているではありませんか。これ以上、何を望むというのか!! 翌朝6時50分に目が覚める。まだ夜は明けていない。でも、6時間以上ぐっすり眠ることができた。それにしても、毛布を使うことになるとは…。それだけエアコンが効いていたのです。 7時48分、無事にアクタウ最寄りのマンギシュラク駅に到着。ここが鉄道の終着点。アクタウにはミニバスで向かいます。間違ったところで降車し、歩いて右往左往しながらもようやく遠くに青い「海」が見えた。そう、カスピ「海」です。アジア横断にとりあえずピリオドを打つべく、靴と靴下を脱ぎ、湖に足を濡らす。そして水をすくい、口を少し湿らせる。海ほどではないが、しょっぱい。 |
想定外の極楽の寝台?
アジア横断鉄道の終着駅であるマンギシュラク駅 ジグソーパズルのような歩道と変な形のマンホール あれがカスピ海だ!
カザフ・ウズベクの鉄道はネットで予約可能。ただ、その前に単語帳の作成を
カザフスタン国鉄・ウズベキスタン国鉄いずれもホームページがあり、ネットで予約ができます。ただし、いくつかのコツがあります。攻略すべきは何といってもキリル文字です。
1)ワードで単語帳を作成
出発・到着駅名はキリル文字での入力が必須。そこで、ワードでコピペ用の地名単語帳を作成します。
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日本語で地名を入力:例:アルマトイ
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それぞれの国鉄ホームページから駅名のキリル文字を探し、コピーして、日本語地名横にペーストします。
カザフスタン国鉄:https://bilet.railways.kz/ ウズベキスタン国鉄:https://eticket.uzrailway.uz/
B
これをタシケント、サマルカンド、ブハラ等で繰り返します。
2)Registrationは英語HPで
カザフ国鉄HP・ウズベク国鉄HPいずれも、予約するためにはログインするための登録(Registration)が必要です。ID・パスワードの設定をします。
HPは当然、現地語です。チンプンカンプンですが、英語ならば、何とか対応はできそうです。右上の国旗(言語)から英語のアイコン(イギリス国旗orアメリカ国旗)を探し、英語ページ化します。もしくは、グーグルならHP自体を英語翻訳します。日本語訳は避けた方が無難です。現地語との親和性が英語のほうが自然で優れています。英検2級レベルのスキルがあれば十分英語化HPで対応できます。
3)出発駅・到着駅は単語帳をコピペ
英語HP化になっているので、比較的ストレスなく入力できるはずです。カザフ国鉄・ウズベク国鉄いずれも45日前から予約可能です。月日はカレンダーで容易に選択可能。問題は、出発・到着駅の入力です。
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単語帳の地名をコピーしてHPの駅名欄にペースト。
A
HPに設定されている駅名と合致していればいいが、そうでない場合は合致するように作業します。地名の最後にカーソルを合わせ、1文字削り、自動変換が出てくるまで1文字ずつ削ります。
アルマトイU駅が表記されているのでこれをコピー(K) HP右上の国旗を選択して英語HPに(K) 一文字ずつ削り駅名(ブハラT)を確定(U)
(Kはカザフスタン国鉄HP Uはウズベキスタン国鉄HP)
4)予約できる列車が表示されるので、選択し、座席まで確定
この時注目するのは価格です。価格と快適性に相関関係があるのは自明の理。旅行代理店経由ではないのでとても安いので、バリエーションを楽しむという選択を考慮しないなら、高いものを選びましょう。寝台の場合、奇数が下段になるので、車窓風景を見ることを考えれば奇数を選択します。
座席まで指定できる(U)
5)個人情報(パスポート番号等)を入力
Documentは日本人ならパスポートに。入力した数字は切符に印字される(U)
6)クレジットカード情報を入力
ベリファイ入力を求められます。海外のサイトで決済する際によく遭遇します。わかりやすく言えば、鉄道会社と切り離された、クレジットカード会社と本人との間の決済確認操作です。
7)PDFでEチケットを入手
プリントアウトして、携行します。カザフスタンではそのまま使用しました。ウズベキスタンではカッサと呼ばれる駅のチケット売り場で紙チケットを発行してもらい、乗車しました。
私は、なんとアルマトイ=タシケント間の列車のEチケットを持っていくのを忘れる失態をしました。ホテルのフロントで事情を説明し、フロントのPCを借りて改めてログインしてプリントアウトして乗車するという離れ業をしてしまいました。Eチケットのシステムさまさまです(当然お金はかからず)。
参考HP:アジアバックパッカートラベル(ウズベキスタン鉄道の予約の際に参考にさせていただきました)
https://asiabackpacker.info/ウズベキスタン鉄道のきっぷをインターネットで/
アフラシャブ号もウズベキスタン国鉄のホームページから予約ができますが、どうも癖があるみたいです。他の列車は45日前から予約ができるものの、アフラシャブ号は予約できません。個人手配の代理店経由(ネットでよく登場するADVAN TOURやウズベクフレンズ)でも難しいようです。
ところが、直前になると、おもむろにHPに上がってくる傾向があるようです。そのタイミングを見逃さずにゲットするのです。推測ですが、現地の駅での予約(もしくは大口の代理店の予約)の後の、売れ残りがHP上に載るようです。
非グーグル圏の旅
今回は図らずも、グーグルが「使えない」「役に立たない」エリアを旅行しました。
Yandex.Mapsのオフラインマップダウンロードは必須
Yandexとは、ロシアのグーグル的存在です。地図アプリのオフラインマップを日本で事前にダウンロードしておくことを強くお勧めします。他のアプリで2GISというものもありますが、こちらはウズベキスタンとの相性があまりよくないとのこと。それならば、Yandexで十分かな、と思います。
オフラインマップはカザフスタン・ウズベキスタン・アゼルバイジャン・ジョージアが網羅されており、スマホ自体のGPSと連動して、現在位置や列車・自動車乗車時の時速なども知ることができます。カザフスタン・ウズベキスタンのミニバス・白タクで、「現在、どこを走っているのか」「目的地に一番近いバス停で降りるタイミング」といったこともわかります。
更に、Yandexには、ウズベキスタンでは、ウーバーのようにタクシー呼び出し・検索に使う機能もあります。
オフラインマップのダウンロードは簡単です。
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GooglePlayでYandex.Mapsを検索⇒アプリをダウンロード
A
アプリを起動して、Tap Menu
B
虫眼鏡マークをタップして、国ごとのIndexからエリアを選択
ちなみに私のスマホはDSDS(デュアルシム・デュアルスタンバイ)対応可能なアンドロイドスマホです。シムカードが2枚入り、2つとも並立して動かすことができるということ。現地購入の安いシムカードでネット、元々のシムカードで音声(いわゆる普通の電話機能)として併用しました。
各地の都市鉄道
ウルムチ地鉄(地下鉄)
ウルムチ空港から中心部に向けて1路線が全通しました。ウルムチという土地柄か、X線検査が異常に神経質でした。空港着・カザフ行き列車乗車が同一日なのでリュックを背負って地下鉄を利用せざるをえず、小さなシャンプー瓶まで指摘を受ける始末。空港でも時折?没収される100円ライターも、確実に没収されます。
北京空港で没収された100円ライターを、ウルムチ市街に着いてすぐに購入。すると、地下鉄に乗る際、まだ買って1時間もたっていない100円ライターを、また没収された。コノヤロー、と思ったが、彼らも人の子。着いた地下鉄駅の、荷物検査の場所で、没収した100円ライターを「ご自由にお取りください」状態で置いている。いいものを拝借することにしよう。ところが、翌日深夜、アルマトイU駅で胸ポケットからポトリと落としたところ、着火部分が壊れた。コレ、考えようによっては、すごく危険です。
不自然にカラフルなウルムチ空港駅
アルマトイ地下鉄
地下鉄は旧ソ連の影響か、エスカレーターがかなり深く・速く潜ります。乗車には黄色いプラスチック製のジェトンを利用。子供用のゲームのコインのようでした。また、トロリーバスが現役です。
黄色いジェトンがアルマトイ地下鉄 長〜いエスカレーター
タシケント地下鉄
アルマトイよりも早くから運行されていました。半透明の青いジェトンを利用。エスカレーターはアルマトイほど深くもなく、速くもない。核シェルターにする必要がない(核攻撃を受けることがない)ということか?。駅のプラットホームは意匠をこらしたものが幾つかあった。モスクワの影響だろうか(1200スム=14円)。
青いジェトンがタシケント地下鉄 ウズベクの意匠がこらされている
サマルカンド路面電車
サマルカンド駅から旧市街地付近に向かう路線があります。乗車賃は1200スム(約15円)で車掌から購入します。ユニークな点が2つあり、1つは終点がいずれもループ状になっており、先頭側はずっと先頭に。よくある、運転手が終点の度に車両内を移動することはありません。
若い兄ちゃん車掌から切符を購入 終着駅でぐる〜と回ってそのまま逆方向へ
中国のカプセルホテルもどきホテル2題
北京空港:1時間50元の「パーテーション宿」 |
ウルムチ空港の第2ターミナル到着口付近に、蛍光灯に照らされて、無粋にカプセルホテル状のものが設置されています。そして不釣り合いなフロント。「なんと芸がない」と唖然としました。カプセルホテルの裏面が丸見え。日本でも見たことがありません。思わずシャッターを切りましたが、昔の冷蔵庫の裏面を見ているようでした。
「世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ」下川裕治著(新潮文庫)
著者は「12万円で世界を歩く」という本で有名な紀行作家です。私も週刊朝日で連載されていた時は欠かさず買って読んだものでした。ここ数年は鉄道で海外を旅行する本を数多く出しています。この本で記載されたルートの一部は私のアジア横断ルートと一致しているところがよくあります。中央アジア西部の情報を参考にさせていただきました。