鉄道小バザールとは、サラリーマンによる海外乗り鉄っちゃんの記録集です。
夏は雨季ですが、冬(乾季)には休みが取れそうにないので、しぶしぶ(?)、ミャンマーに行くことにしました。やはり、思うようにはいかないようで…。
帰路、泰緬鉄道の面影を求め、タイのナムトク線にもトライしました。
初掲載:2018年12月 Last Update2018年12月
Tadalay(08:58) |
Yangon(12:32) | 47.5q |
200Kyats |
Tadalay(14:30) |
Yangon(15:20) | 環状線(右回り) | 200Kyats |
Yangon(17:00) | Mandalay |
3UP Soft Sleeper 622q | 12750Kyats |
Thonburi(13:55) |
Kanchanaburi |
259列車 133q | 100Bahts |
Kanchanaburi |
Namtok(08:20) |
485列車 77q | 100Bahts |
1Kyat= 0.07円 1Baht=3.44円(旅行当時のレート) 表記時刻は時刻表上の数字 |
2・30分のはずが、1時間近く歩くハメに
ユニークなノックエアのカラーリング 400USDが582,800チャットに
SIMカードを購入 新装になったヤンゴン国際空港
バンコク・ドンムアン空港発のノックエア・DD4230便で、ヤンゴン空港に朝7時30分到着。ホテルのチェックイン時刻にはかなり時間があるので、ヤンゴン環状線に乗ることにしていました。
空港から東に歩き、最も近いパユッセゴン(Pa Ywet Saik Gone)駅へ向かいます。2・30分で着く、とタカをくくっていましたが、空港を離れて5分としないうちに、ほんとに首都?という風景に包まれ、心配に。道すがら、歩いている人に「レイルウェイステーション?」と進行方向を指差しながら聞くと、間違いではない様子。
空港を出て5分でこの景色 草むしりしている横をてくてく
30分近く歩き、ようやく線路が高架道路上から見え、線路脇に降り立つことができました。トボトボと線路上を歩き、たどり着いたのがタダーレイ(Tadalay)という駅で、当初予定していたパユッセゴン駅よりも2駅分南下していました。1時間近く歩いたことになり、かなり遠回りしましたが、急ぐ旅ではないので、良しとしよう。
<タダーレイ(08:58)⇒パユッセゴン(09:05)>
タナカを付けて乗車している女性も
程なくディーゼル機関車に引かれて列車がやってきました。乗車した人全員がロングシートに座って満員といった混み具合。2駅進み、当初乗り込む予定だったパユッセゴン駅に到着。しかし、ここでヤンゴンに折り返すらしく、降ろされました。進行方向変更で、機関車を付け替えし、出発。遠くに、ヤンゴンから来た列車が見えてきました。
<パユッセゴン(09:26)⇒ダニンゴン(10:06)>
日本の中古ディーゼルカーが駅に到着。今回もプラスティックのロングシートでした。混み具合は先ほどと同様、立つ人はいないものの座席は満員といった感じでした。
空港を左に見ながら列車がゆっくりと進みます。窓は全開。検札に来たのでお金を渡すと、お釣りはもらったものの、切符は後程、とのこと。しばらくして子供が切符を持ってきました。使いまわしか?ミャンマー語なので、何が書いてあるかもチンプンカンプン。でも、神経質になることもないか。
車中では何度も売り子が行き来する。一番よく売られていたのがパイナップル。大きなかごに、小さなパイナップル半個が沢山盛られています。客がパイナップルを選び、売り子が包丁で切れ目を入れ、最後にライムを塗りたくって200チャット。環状線の運賃と偶然同じです。売り子は一応薄手のビニール手袋をはめ、客にはビニール袋に入れて売っていました。一応、最低限の衛生意識はあるみたいでした。
しばらくすると、ひときわ人が多い駅に到着。ダニンゴン(Da Nyin Gone)駅で、市場と駅が一体というか、駅が市場に呑みこまれていました。ホームも、ちょっとした不法占拠(?)状態で売り場ができていました。列車から降り、市場の中をぶらり歩きしました。野菜やくだものが所狭しと売られていて、豆腐や納豆もあります。アジアに来たなぁ、と独り言をつぶやきつつ、汗を拭います。
<ダニンゴン(10:25)⇒インセイン(10:58)>
駅に戻り、こぎれいで結構売れているおばさんから、パイナップルを買いました。列車がやってきたので席に着き、パイナップルをすぐにたいらげました。30分ほど乗車し、インセイン(Insein)という駅で下車しました。ここは列車の車両工場があるとのことでしたが、無理はしませんでした。
<インセイン(11:37)⇒ヤンゴン(12:32)>
先頭上部には「名古屋」の表示
キハ181系。かつての特急「はまかぜ」
またもや日本の中古のディーゼルカーがやってきました。表示を見ると名古屋行き!?。インセイン始発なのでガラガラ。出発を待っている間に、ぐるっと回ってきた環状線の列車もやってきたが、混んでいるので、このまま居座ることにしました。
しばらくして出発。車両工場に日本の元特急キハ181系がひっそりとたたずんでいました。JR西日本で「はまかぜ」として特急運用していた車両です。その後は変化の乏しい沿線を窓外に見つつ、ヤンゴン駅に到着。ボーヂョーアウンサン・マーケットに寄って、ミャンマーの民族衣装であるロンジー(巻きスカート)を買い、環状線一周の旅は翌日に続けることにしよう。
<タダーレイ(14:30)⇒ヤンゴン(15:20)>
雨が降る中、ヤンゴン観光しつつ、タクシーを乗り継いで前日乗り込んだタダーレイ駅に到着しました。前日とは逆方向でヤンゴンに向かいます。今回も日本の中古ディーゼルカーでした。途中、雨が降りだし、一度窓を閉めたが、程なく止み、再び窓を全開に。
中国製新車両の15時発マンダレー行き 雨のヤンゴン駅
前日買ったロンジーを早速着用していました。ロンジーの下はいわゆる「パンツ一丁」ですが、時折入る風が心地いい。短パンだと仏教遺跡で入場を断られることから、ミャンマー滞在中はずっとTシャツとロンジーで過ごしました。
ヤンゴンが近づくと乗客も多くなり、席に座れない人もかなりでてきました。3時にヤンゴンを発ったマンダレー行き列車が通り過ぎる。3時20分、ヤンゴン駅着。なんとか2日にわたった環状線一周が完結しました。
ヤンゴン駅に再び乗り込む
ホテルに預けていた荷物をピックアップしてヤンゴン駅に向かいました。駅の改札でチケットを見せ、待合室に入ります。少し薄暗く、湿度が高くて、だらだらと汗が額をつたいます。
趣のあるヤンゴン駅正面 中に入ると薄暗いのは否めない
よ、読めん 待合室 オーディナリー(2等)座席車
しばらくしてフェンスの一部が開き、再度チケットを見せてホームに入ります。寝台席を予約していたので、乗るべき車両はすぐに見つけることができました。車両端のコンパートメントで、上下で2人用でした。ひょっとしたら独占できるかもしれない。
リュックをベッドに置いてホームに降り、編成を確かめることにしました。機関車を先頭にオーディナリー(2等)座席車5両、乗車したアッパー(1等)寝台車1両、アッパー座席車4両、食堂車1両、オーディナリー座席車4両、貨車2両となる長大編成です。売店でペットボトルの水とケーキのようなお菓子を非常食として買い、コンパートメントに戻ります。雨降る中、ゆっくりと定刻に出発しました。
1等の寝台車両とそのコンパートメント
ヤンゴンを出発した時はゆっくりだったが、しばらくすると、そこそこ快調に走り出しました。ヤンゴンの鉄道は線路のメンテナンスがほとんどされていないと言われ、かつてはジャンピングトレインという異名がついていました。座っていてもジャンプしてしまうほど揺れるという意味。近年は日本のサポートもあり、改良がされているという話がネットにも載っており、思った程ではなさそうです。「マンダレーに予定より早く着くかも…」と、少し期待をしてしまいました。
食堂車で舌鼓
巨大寝仏で有名な古都バゴーをほぼ定刻で出発したのを見届け、コンパートメントを独占していることをいいことに、勝手に自分の南京錠で鍵をかけ、食堂車に向かいました。
ちょうどテーブルが1つ空いていたので、そこに腰をおろします。メニュー表を持ってきてもらい、野菜炒めと豚チャーハン(合計6000チャット)を注文しました。隣のテーブルの若者達が、かかっている音楽でカラオケ大会よろしく、大声を張り上げる。片手にビール、片手にタバコで合唱する様子は苦にはならず、むしろほほえましい光景に映りました。
食堂車で歌う若者達 油っぽいと言われるが、おいしくいただく 勝手に鍵をかける
しばらくして食事がやってきた。ミャンマー料理の特徴は油っぽく、胃にもたれると言われますが、私には全く苦にもならず、むしろ油が甘く感じられ、食が進んだ。だからメタボ体質になったかもしれないが、そんなことをミャンマーで心配しても始まらない。おいしくいただくことにしよう。
やはり、揺れる
夕食を堪能し、コンパートメントに戻る。ごろっと横になり、眠たくなればそのまま眠ってしまおう。徐々に涼しくなってきたので、窓も閉める。
ソフト(1等)座席車 寝台車の通路 がっくん、ガックン
夜明けの線路をひたすら北上
途中、眠りつつ、首都のネーピードー停車を確かめ、またうつらうつら…。ふと目が覚めると、どこかの駅に停車しようとしていました。プラットホームに寝転がり、列車を待っている姿も見える。ターズィーという駅で、インヤー湖やバガン方面への乗り換えの要衝です。徐々に窓の景色が明るくなってきた。窓を開け、眠気を吹き飛ばそう。
ホームが短い 牛はもう朝の仕事をしている
ホームはあってないようなもの?
1時間遅れでマンダレー着
どんよりとした天気が続くが、雨は降っていない。マンダレーに近づくにつれ、アジアの都会の共通項が見えてきました。ゴミだ。沿線上に無残な姿が広がる。食べ物なら自然に還るのだろうが、ビニール袋や容器はそのまま。
8時38分、1時間遅れでマンダレーに到着しました。感傷に耽る暇もなく、人々は黙々とホームの2階に上がっていく。その流れに身をまかせることにしよう。
ゴッティ鉄橋は拝めず
黙々と2階へ(途中に改札があった) 2階が切符売り場
ホームの2階が切符売り場になっていました。駅を離れず、そのまま、翌日のゴッティ鉄橋に向かう列車の予約に向かいました。1日1便、朝4時にマンダレーを出発します。ゴッティ鉄橋とは、1903年にできた、マンダレーから8時間かけてようやくたどり着く鉄道橋で、ポール・セロー著「鉄道大バザール」にもこの橋が登場します。
マンダレー駅 マンダレーにもガッキーが… シャンヌードルは美味
窓口を2か所ほどたらいまわしされ、ようやく本当の窓口にたどりつきました。「明日のナウンペン行き1枚」と言うと、駅員は何故か顔を曇らせる。お互い英語が上手くないが、理解できたのは、アクシデントで運休中とのこと。翌々日には運転されるとのことですが、その場をやり過ごすための方便かも知れず、本当かどうかわかりません。
そこで、マンダレー2泊の予定を1泊に切り上げ、バガンへと進むことにしました。ネットで調べると、当初あきらめていた船が1日繰り上がることで運行される日になり、旅に変化が付けられそうです。それで良しとすることにしよう。
綱渡りでトンブリー駅着
ウォーターサーバーに扉が… タイ(ミャンマー)の吉岡里帆? バスの車掌のおばちゃんの、このユルさがたまらない
エアアジアFD252便でヤンゴンからバンコク・ドンムアン空港に10時20分に到着しました。荷物をコインロッカー(後述)に預ける時間がかかるとしても、路線バスとBTS(高架鉄道)とタクシーと船を乗り継ぎ、ナムトク線のトンブリー駅に余裕で着くと思っていたのですが、大間違い。
チャオプラヤー川岸で誤って観光船の乗り場で待っていて、余計な時間を費やしてしましました。船で川の西岸に着き、ゼイゼイ言いながら走り、やっとの思いでトンブリー駅に到着。列車出発の5分前でした。
トンブリー駅発の列車は1日に2便しかなく、これを逃すと、カンチャナブリーには行けなくなるので、ヒヤヒヤもの。本来は駅や周辺の市場探検をしたいところでしたが、そんな余裕もなく、水を購入するのがせいぜいでした。
カンカンと鐘が鳴り、ゆっくりと列車が動き始めました。
ゼイゼイ言いながらチケットを購入 駅長?でっぷりした胡散臭い笑顔がいい味出してる
大都会と無縁の時間が流れる
大都会バンコクでもトンブリー駅周辺は開発が少し遅れています。この列車も1BOXに1・2人の込み具合で、大都会の喧騒とは無縁の、のんびりとした空気が流れます。窓を全開にして汗を一気に乾かすことにしましょう。
途中、少し雨が降ったものの、快調に列車は走ります。ノーンプラドック・ジャンクションで本線とわかれ、ナムトク線に入ります。車内販売の、バナナの皮につつまれた、そぼろごはん系のおやつ(?)を10バーツで買い、一口で平らげ、ペットボトルの水をぐびぐびぐび。
1つ10バーツ(34円)。おやつ感覚
ナムトク線は太平洋戦争時に泰緬鉄道と呼ばれ、ミャンマーへと続いていました。「戦場に架ける橋」という映画で有名な、あの路線です。ミャンマーに行ったので、是非、この旅行で立ち寄ろうと考えていました。
16時45分、予定より20分遅くカンチャナブリー駅に到着・下車しました。
カンチャナブリー駅。駅前の舗装は剥げていた
ちょっと人が多すぎない?クウェー川鉄橋
駅から10分ほどの、クウェー川沿いの宿にチェックインして、バイクタクシー(30B)で北西のクウェー川鉄橋まで移動します。この旅行でバイクタクシーは10回ぐらい乗っているので、慣れたもの?です。
15分ほどで到着。あまりの観光客の多さにびっくりしました。ガイドブックに載っているので、観光客がいるのは理解できるが、こんなにいるとは…。映画「戦場に架ける橋」のイメージとはかなり異なる!?。映画の実際のロケ地はスリランカなので、違うのはある程度覚悟はしていましたが、それにしても…です。中国人が思いのほか多い。噂によると、世界遺産の登録を目指しているとか…
列車が鉄橋を通過
警備の女性がいたので聞くと、遅れている列車があと10分ほどで来るとのことなので、全景が見える場所に移動します。警笛が聞こえ、遠くに列車が見えてきました。
ゆっくり列車が向かってくるが、観光客が橋の避難スペースに集まり、写真をパシャパシャ。邪魔やなぁ、と言っても仕方ない。できるだけ列車の全体がカメラに収まるタイミングを待ちます。
サバーン・クウェー・ヤイ(クウェー川鉄橋)駅に列車がしばらく停車して、カンチャナブリー駅に向かうのを見届けます。再び鉄橋に歩を進め、人がかなり減って、かなり見通しが良くなった鉄橋の様子を写真におさめました。ようやく、あの、口笛の「クワイ川マーチ」が頭の中で鳴り響きました。関西人なので、替え歌の「サル、エテコ、チンパンジー」ではありましたが。
さて、晩メシに何を食べようか
陽も大分暮れ、適当なところで夕食を摂ることにします。宿に戻りつつ適当なところを探していると、大きな屋根の、半野外の食堂に出くわしました。奥にはスクリーンがあり、スポーツ中継を映しています。かなりの人が食事をしているので、ここで食べることにしました。エビチャーハンとBBQポークとコーラでしめて155B。満腹で、満足。バイクタクシーを捕まえて宿に戻りました。
野犬におびえながら早朝の駅へ
翌朝4時半に起床し、シャワーを浴びて5時半過ぎに宿を出発しました。最短距離で10分弱の筈ですが、夜明け前で懐中電灯を灯しながら、野犬の咆哮におびえ、遠回りしながら、やっとの思いで駅に到着。思ったより多くの人が駅で列車を待っていたものの、ノーンプラドック・ジャンクションからやってきた列車は編成が長く、1BOXを楽勝で確保し、6時10分に出発しました。
朝日を浴びてクウェー川鉄橋へ
7分ほどでサバーン・クウェー・ヤイ(クウェー川鉄橋)駅に到着。程なく出発してクウェー川鉄橋を渡ります。昨夕の、人々をかき分け進むといった異常な状態とはうって変わり、ほぼ無人の鉄橋をゆっくりと進みます。ちょうど朝日が昇ってくるタイミングで、すがすがしい朝のスタートです。
しばらくして「チョンカイの切通し」と呼ばれる地点を通過。ここは、戦争中に泰緬鉄道を急ごしらえで建設したため、ギリギリのところまでしか側面を削っていない場所で、あまり顔を外に出していたら、大怪我必至です。
タム・クラセー桟道を通過
こちらの駅名は「タク・ムラセー橋」駅 クウェー・ヤイ川脇をそろりそろり
オーバーハングした岩山の脇を進む 桟道を越えると「タム・クラセー」駅
1時間ほど朝日を浴びながら北西へと進むと、タム・クラセー橋駅に到着。ここからはナムトク線の最大のハイライト、タム・クラセー桟道を通ります。かつては、アルヒル桟道と呼ばれていました。
クウェー・ヤイ川を左手に、ゆっくりと進みます。乗客は皆、カメラかスマホで写真を撮っている。もちろん、私も。右側はオーバーハングした崖が迫ってくる。あまり顔を出しすぎると、危ない。ゆっくり進んで渡りきり、タム・クラセー駅に到着しました。
ナムトクに到着
40分ほど進み、3分遅れの8時23分、終点のナムトク駅に到着しました。
トゥクトゥクで滝へ向かう サイヨーク・ノイ滝 撤去された泰緬鉄道跡地が歩道に
本当の終点、サイヨーク・ノイ駅 泰緬鉄道は、ここで終わる SLは先へ進みたがっている、かな?
少しバンコク側に戻るとサイヨーク・ノイという駅があります。週2回の観光列車のみが辿りつける、ナムトク駅からさらに1.5q進んだところにある、本当の行き止まりの駅です。戦後にミャンマー方面の線路が撤去され、ここから先は鉄道で進むことができません。日本製のSL・C56が静態保存されており、ミャンマー方面への、見えない線路に思いを馳せているようです。
バスとバイクタクシーでタム・クラセー行きあたりばったり
鉄道乗車をクリアしたら、列車の写真も撮りたくなるもの。クウェー川鉄橋は前日撮ったので、今度はタム・クラセー桟橋にトライすることにしました。
本とネットの情報によると、トゥクトゥクを降りたあたりからカンチャナブリー方面にバスで戻り、バイクタクシーでタム・クラセーに着くことができるとのこと。
朝食を摂った後、バス停らしき場所で待つこと20分、バスがやってきました。車掌にタム・クラセーの近くのところまで乗せてくれと伝え、20分ほど乗っていると、ここで降りろとのこと。車掌が待合所のようなところを指さして、「あそこでバイクに乗れ」。そちらに向かい、おじさんにタム・クラセー駅に連れていってくれと伝え、値段交渉。50Bとのこと。安いか高いかわからないが、なんとかたどり着くめどが立ちました。バイクの後部シートに乗り、ゆっくり行ってくれと伝えたものの、結構なスピードで、急な坂を下る下る。右手で後ろの荷台グリップをぎゅっと握りしめ、15分ほどでタム・クラセー駅に到着しました。
高所恐怖症に身には冷や汗モノの線路てくてく
高所恐怖症の身としては、頭の中で悪いことばかりがグルグル回る
タム・クラセー桟道は、川沿いに木造の橋が連なったところです。下を向きつつ、あまり景色を楽しむ余裕もなく渡ります。高所恐怖症の身としては、「なんでこんなところに来たんや」と、独りごちつつ、反対側のタム・クラセー橋駅に、やっとの思いで渡りきりました。煙草を吸いつつしばらく待っていると、ナムトク方面行の観光列車がやってきました。真横を通過する写真を撮った後は、ヒヤヒヤしつつ、歩いてきた線路を元に戻りつつ、先ほどの列車をパチリ。その後は、できるだけ足元を意識しないようにタム・クラセー駅に戻ります。
やっとの思いでバンコクへ
出店でコーラを買って喉を潤し、バンコクに戻ることにしよう。
バス停に戻るにもバイクタクシーが見つからず、あたふた。観光客はかなりいるものの、観光バスか自家用車で来ている人ばかりで、バイクタクシーも、タクシーも見当たりません。やっとの思いで、それらしき人を捕まえ、バイクタクシーにまたがります。今度は上り坂。相変わらず右手でバイクの後ろをしっかり握り、バス停に向かいます。
そして20分ほど待ってカンチャナブリーへ。駅前の泰緬鉄道博物館を少し覗いて、路線バス経由で急行バスに乗り、バンコクに。さぁ、職場と家族に罪滅ぼしのバラマキ土産を買って、ロッカーに預けていたリュックをピックアップして日本に戻ろう。
マンダレー・バガン間は船で
川沿いにパヤーが見える インワ鉄橋 4時前にバガンに到着
ミャンマーに旅行すると決めた時に、マンダレー・バガン間を船で移動しようと思っていました。しかし、雨季で、観光客が利用する船はほとんど運行されていないことを知り、あきらめていました。
前述のゴッティ鉄橋往復ができなくなり、スマホで調べたところ、翌朝は船が運行されることがわかり、すぐにネットで予約しました。1泊宿を早めに切り上げ、朝5時半過ぎにチェックアウトし、タクシーで港に向かいました。どこかわからなかったものの、スマホのGPSで、3分ほど北上すればいいことがわかり、感激。7時出航。雄大な大河に揺られ、大きな2つの橋を越え、午後は強い日差しに少々辟易しながら4時前にバガンに到着しました。
NMAI HKA http://www.rivernmaihkatravel.com/
高いが、バンコクにはコインロッカーがあります
1泊だけのタイ小旅行なので、バンコクに荷物を預けたいと調べたところ、LOCK BOXというコインロッカーが近年できたことをネットで探し出しました。MRT沿線に多いようですが、サヤーム・パラゴンというデパートの東端部にもあります。システムは日本と異なりますが、モニター画面で日本語を選択すれば、なんとか操作ができます。
便利なのはいいが、チト高い。リュックを入れたので少し大きめのロッカーを選択しましたが、それにしても1泊2日の料金で480B(日本円で1,632円)。高すぎないか?
LOCK BOX https://www.lockbox-th.com/
HISで鉄道チケットを予約
ミャンマーの鉄道チケットはHISのホームページで予約しました。ミャンマーの鉄道の予約は3日前からで、ミャンマー到着2日目に長距離列車に乗る予定の身としては、旅行会社を頼りにしたいところですが、日本の旅行代理店のHPで予約するとかなりボッタくるのが常です。本来のチケット代金は1,400円程度ですが、ホテルまでチケットを持ってきてくれて30USD(当時のレートで3,370円)程度というのは、かなりお手頃と言えます。旅行した当時(2018年8月)はロヒンギャ問題で欧米の旅行客が激減していました。観光客を呼び込もうと、翌月から日本人のビザ不要となるタイミングでした。つまり、客が来ない時期。いつまでこのサービスが続くか不明ですが、上手に利用させていただきました。
間違えて飛行機を予約
ヤンゴン空港のエアアジアカウンターでチェックインをしていると、なぜか時間がかかっている。訝しがっていると、カウンターの女性が、おもむろにチェックインの時に渡した紙を私に差し出し、「来年の今日がチェックインです」。
よく見ると、来年(2019年)の8月11日となっている。「アッチャ〜」と頭を抱えました。失敗したことは数々ありますが、こんなチョンボはしたことない。
しかし、何とかしなくてはと、食い下がる。別のカウンターを紹介され、事情を説明。44.01ドルで対応してくれるとのこと。ワラをもすがる思いで承諾し、発券してもらいました。
海外旅行に詳しい人ならご存知の方が多いと思いますが、たとえばJALなら330日前に予約可能になるように、飛行機の予約は1年以上前は予約できません
1年後の飛行機が予約できるようなシステムにするなよ、と毒づきたくもなりました。席が空いていたので乗れましたが、満席だったら、シャレにならない。
★世界の鉄道紀行 小牟田哲彦著 講談社現代新書
タイの泰緬鉄道沿線の、ナムトク⇒タム・クラセー間移動の参考にさせていただきました。